2022-01-30 Etel Adnanについて、audibleはじめ
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レバノンで生まれ育ったが、当時のレバノンはフランスの統治下にあったので、家ではトルコ語とギリシャ語で話し、学校ではフランス語を使っていたという。アラビア語を話すことは禁じられていた。
父親は自分の母語であるアラビア語を教えたかったが、どう教えて良いのか分からなかったのか、彼女は渡された文法書を意味も分からず書き写すことをしていたという。
その、その言語に手が届くような、でも意味ははっきりとは分からない、でも形をなぞることはできる、という体験が後の彼女の作品の一角に表れ出ている。
折 か ら の ア ル ジ ェ リ ア 独 立戦争もあり、植民地支配を担ったフランス語で 自己表現することに違和感を持ったアドナンは、 しばらくのあいだ書くこと自体をやめてしまう。
や が て 、 抽象絵画がアドナンにとっての突破口になる。言 葉による言語の限界を痛感していたアドナンは、 絵画の中に新しい、より自由なコミュニケーション を可能にする視覚言語を発見したのだった。
自らを亡命者と感 じるかどうかという質問に、アドナンはこう答えて いる。「そう感じてはいる。でもあまりに長いあい だその感覚が続いたので、それはもうわたしとい う人間の一部になっている」
頭 や 心 の 動 き を 開 示 す る こ と と 、そ の 横 長 の巻 紙 は 、と て も 似 て い る 気 が す る 。絵 画 の よう に ぱ っ と ひ と 目 で 把 握 す る の で は な く 、順 々に 、視 覚 的 に 読 ま れ る た め の 巻 紙 。通 常 の 本 も、ひと目で読むことはできない。
ジャバラ式に折りたたむ形式の本を「レポレッロ」というのはドン・ジョヴァンニのレポレッロから来ていたのか!びっくり。
ただ、Etel Adnanに関しては日本や中国の横長に絵や言葉が展開していく巻物からインパイアされた部分も多いとのこと。
ア ド ナ ン は 時 に 、文 章 に つ い て の「 ぼ ん や り し た 理 解 」 に 魅 了 さ れ る と い う 。
ア ド ナ ン の ブ ッ ク ・ アートは、境界線を越える喜び̶ 「禁断の楽 園 」 に 近 づ く 喜 び を 、 表 面 化 す る 。そ れ は す な わ ち 、 故 郷 に 帰 る よ う な 感 覚 を 体 現 し て い た 。「 実際に起こるまで予期することもなかったのだが、 (ブック・アートは)タペストリーのように複 雑に紡が れ た わ た し の 人 生 の 、多 数 の 織 り 糸 と 折 り 合 いを つ け る 作 業 」1 だ っ た の だ 。
翻 訳 と は 、 ひ と つ の 言 語 を 別 の 言 語 に 置 き 換 え る こ と だ け で は な く 、 言 葉 に よ る 言 語 か ら 視 覚 に よ る 言 語 へ と 置 き 換 え る こ と で も あ る 。文 章 や 文 字 や 絵 は 、 完 全 に 仕 上 が っ た 翻 訳 に は な ら ず 、「 何 か に な ろ う と す る 感 覚 や 流 動 性 、途 切 れ る こ と な く 変 化 す る 感 じ 」 1 1 を 互 い に 伝 え 合 う 。
ア ド ナ ン は 自 分 の レ ポ レ ッ ロ を 、引 用 し た 文 章 の 著 者 に 贈 っ た り 、 親 し い 友 人 に プ レ ゼ ン ト し た り し て き た 。
広 げ た 状 態 で 「 オ ブ ジ ェ ・ ダ ー ル ( 美 術 工 芸 品 ) 」の よ う に 本 棚 に 置 い た り 、ギ ャ ラ リ ー の 壁 に 展 示 し た り でき る 一 方 で 、 通 常 の 本 の よ う に 親 密 な 出 会 い を 楽しみながらひとりで読むこともできる。
ちょうどパリでも彼女のexpoをしていた。メモ。
ハンガリーからスイスに亡命して、そこでフランス語で作品を書いたアゴタ・クリストフにとっては、フランス語は自分が生きるためになんとしてもしがみつかなければならなかった言語であり、同時に、愛する母国語から自分を引き剥がす忌むべき存在でもあった。
私は外国語に苦労してはいるけれど、無理矢理に母語から離されたわけではないから、当然彼女たちの感触を理解することはできない。でもこうして外国語と格闘する…格闘とまで言わなくても、折り合いをつけようとする体験を読むことに興味が湧いたのはフランスに来てからだ。
分からない言葉に出会った時に改めて自分が自然に習得してきた「ことば」について考える。もしかしたらかつてした言葉を習得するその過程を、もう赤ちゃんではない自分が赤ちゃんの時代と同じように、または別の方法で辿ることに興味があるんだと思う。
🔻読んだもの
ラヒリはベンガル人の両親のもとロンドンに生まれ、幼い頃にアメリカに渡り、ロードアイランド州サウスキングスタウンで育った。彼女の多くの作品は、その独自の境遇や、2つのアイデンティティの狭間にいて、絶えずつきまとう「よそ者」であるという感覚に裏打ちされている。
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🔻その他の母国語以外で書く作家
13:30
1月がもう終わりなんて…とびっくりしている。
毎月末にびっくりしているのだけれど。
前半半分くらいCovidに費やしたとしても、後半はいったいいつの間に過ぎたのか。不思議だ。
audibleが聴き放題(しかも初月無料)なのでいくつか本を入れてみた。
『鹿の王』は2日くらいで読む。病と人と政治と、死生観、どの範囲のことを私として守るか、というようなことが書かれていてまさに今読むのにぴったりな物語だった。
『独学大全』『三位』『アースダイバー』『英語独習法』『風姿花伝』『茶の本』『乳と卵』『チェルノブイリの祈り』『銃・病原菌・鉄』…と手当たりしだい入れてみたけれど、耳で聞くのが難しそうなものもあるので聞ききれるかどうか。